TOP備中県民局エリアの地名の由来>総社市西郡

地名の由来:西郡

地名の由来


 総社市の山手地域に西郡という地名があります。
 読み方はニシゴウリです。

 西という方位がつくものの、対となる東郡の地名は存在しません。
 西郡という地名は錦織(ニシコリ)が転じたもので、方位自体は当て字のようなものなのです。
 錦織は絹織物を意味し、当地に作った織物を朝廷へ献上する部民の錦織部が置かれていた事から、それが転じた西郡の地名が生じたのです。

幸山城跡


 総社市西郡に幸山城がありました。
 築城は14世紀の初めごろと考えられており、山陽道を一望できる好立地から防備の要衝として築かれたものと考えられます。

 戦国時代には三村氏に属する石川氏の城となっていますが、三村氏が滅ぼされると城主の石川久式も自刃しました、
 その後に城に入ったのが、後に備中高松城に移り豊臣秀吉の水攻めに遭う事になる清水宗治でした。

 城は清水宗治以降も存続していましたが、江戸時代の初期に廃止されました。
 時期的に一国一城令の影響でしょうか。


 -戻る-

関連リンク


写真:幸山城跡
写真撮影:Googleマップ

ページトップに戻る