岡山県内で最大規模だったとされる三井造船の労働争議の写真がありました。
デモ行進が行われている様子です。
当時の社名は玉造船所です。
企業立病院の三井病院に外科医を配置して欲しいと話し合いを始めたばかりの頃に、実際に事故で従業員が亡くなってしまいます。
対応可能な病院は遠く、到着までに4時間ばかり経過する内に出血多量で亡くなってしまったそうです。
企業が早くに医師を配置するようにしていれば亡くならずに済んだかもしれないケースでした。
この事をきっかけに従業員の待遇向上を求めて、ストライキが始ったのです。
実はこの影響を受けたのは三井造船だけではありません。
現在でも玉野市は三井造船の企業城下町ですが、当時の日比町、宇野町(現在の玉野市日比、玉、宇野、築港など)も造船の城下町として成立している町でした。
労働争議の為に三井造船や関連企業に勤める人々がお金を使わなくなった事から、町の商業施設などにも大きな打撃を与えました。
その為、町議会議員なども解決に乗り出したそうです。